全日病ニュース

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現場は、すでに、患者家族の意向を聞いた対応をしつつある!

【終末期医療に関する座談会(その1)】
なぜ終末期医療GLは浸透しないのか?

現場は、すでに、患者家族の意向を聞いた対応をしつつある!

 全日病の「終末期医療に関するガイドライン策定検討会」は、2009年に「終末期に関するガイドライン」をまとめた。病院のあり方委員会(徳田禎久委員長)が、会員病院におけるGLの活用状況をたずねる調査を同年に実施したところ、本GLを使用していた病院は23.0%であった。
 それから4年が経過した昨年9月に同趣旨の調査を行なったところ、09年とほぼ同様の結果となり、終末期医療をめぐる現場の意識と状況に大きな変化が生じていないことをうかがわせた(2つの調査結果の要旨は別掲)。
 高齢者の増加にともなって終末期を迎える患者が増える中、患者の気持ちに沿った医療提供のあり方をどう実現していくべきか。
 病院のあり方委員会は、その指針となるべきGLの普及と活用を促すべく、医療現場と国民に終末期医療の実情を伝えるとともに、それにどう対応していくべきかを訴える啓発活動に取り組む方針を決めた。
 その一環として終末期医療のあり方をめぐる座談会を6月22日に実施したので、その概要を8月1日号と9月1日号の2回に分けて掲載する。
 同委員会は、座談会の内容をHPで公表するとともに、次回取り組み以降の情報発信を企画したいとしている。
*全日病のGLおよびGLの利用状況調査報告書は全日病のHPに掲載済み。

終末期医療に関するガイドライン

□「終末期医療に関するガイドライン」活用状況の調査結果

●2009年の調査
 回収率は20.9%。終末期医療GLを作成している病院は24.2%、全日病のGLを知っていた病院は44.5%、全日病版GLを使用していた病院は23.0%。
●2013年の調査
 回収率は22.6%。終末期医療GLを作成している病院は36.2%、全日病のGLを知っていた病院は49.7%、全日病版GLを使用していた病院は27.1%。
*上記の詳細は徳田委員長による報告(本紙5月15日号掲載)を参照。

木村 病院のあり方委員会が2009年に出した「終末期医療に関するGL」の活用状況を調査したところ、09年と13年とで、その利用状況はほとんど変化していない。つまり、GLは余り広まっていない。そこで、委員会として普及を積極的に図ろうということになり、その一環として関係者による座談会を行なって情報発信することになりました。
徳田 終末期については、我々なりにGLをつくり、その活用に向けて啓発してきたつもりですが、利用状況は変わっていないし、病院職員や患者・家族等の意識も余り変わっていないことが分かりました。終末期医療のあり方をできる限り多くの医療関係者に分かってほしいのですが、国民にも広く理解してほしいと思っています。そこで、普及が進まない原因を含め、関係者の皆さんにご意見をうかがえればと期待しています。
池上 終末期医療については、上智大学の町野先生と各国におけるGLと法律に関する報告書(13年度厚労科研「終末期医療に対する対応」)をまとめました。
横野 私は04年に「重篤な疾患を持つ新生児の医療に関する話し合いのGL」の作成にかかわりました。英米では事前に裁判所に判断を求めることが比較的容易ですので、裁判所の判断が積み重ねられる中である程度法的なルールができていくという傾向があります。それが日本と違っているところですが、日本ではこうした形での司法判断が現状では得られない点が難しいところだとも思います。
木村 全日病がなぜGLをつくったかというと、終末期の医療を法律で規定しようとする動きが出てくる中、現場が、患者・家族との話し合いにもとづいて対応していくことが正しいのではないか、そのためには、その方法を標準化したGLをつくり、それに沿って進めていくべきではないかと考えたからです。
 終末期医療は法律でどうこうするものではない。それこそ、GLをつくって医療現場に広めていく、そして、国民にそれを周知することによって、終末期にどう対応していくのがいいのかという世論をつくり上げていくべきである、と全日病は考えています。

リビングウイルだけでは難しい。代弁者が必要

池上 終末期医療について、少し私見をお話ししたい。まず、GLというのは基本的に法律に準拠していなければいけないので、それだけに頼っていてはならないということです。
 したがって、医師が免責となるような、積極的な安楽死を認めるGLはできないということです。次に、厚労省がまとめた「終末期医療の決定プロセスに関するGL」(07年5月)は、行為ではなく、行為に至ったプロセスが重要であるという認識に基づいていることに留意する必要があります。
 延命治療の不開始・中止ということでいえば、法律家は始めないことと中止は同じと考えているが、私はそれは違うと思う。というのは、開始するかどうかというのは医師の裁量権に委ねられるからです。裁量権の範囲で行なったことには違法性がありません。例えば、胃ろうの挿入によっても延命は期待できない、あるいは患者のQOL向上にもつながらないと医師が判断し、それを患者もしくは家族が納得すれば、裁量権の範囲で不開始とすることができますが、一旦つくった胃ろうを抜去するのは必ずしも裁量権の範囲とはいえません。
 次に、終末期医療に対する国民のニーズは延命治療の手段によって大きく異なっており、意識調査で延命治療の不開始・中止を括ってたずねるのは適切ではありません。国民に対する調査によると、例えば、点滴あるいは肺炎のときの抗生剤投与はほぼ半数が望んでいますが、胃ろうや経鼻カテーテル、CPRなどは1割以下しか望んでいないからです。
 最後に、全日病のGLの中に「リビングウイル以外に代弁者の活用も考えるべき」とあります。ここで「代弁者の活用も」となっていますが、代弁者を活用しない限り、リビングウイルだけでは難しいと思います。
 リビングウイルは作成時における本人の意向ですが、東海大病院事件をめぐる横浜地裁の判決は臨死場面でも同じ意向かどうかを確認する必要を述べています。しかし、臨死場面で意向を得るのはなかなかできない。そこで、本人と家族との十分な話し合いがないと引き受けられない代弁者を立てるということになるわけです。
宮澤 GLは法律に準拠すべきというのは当然なことですが、法律に準拠していたら自由がないのかというと、必ずしもそうではありません。例えば、安楽死について言えば、一般的には社会的な相当性を逸脱した法益侵害に該当すると違法になります。では、社会的な相当性というのは何かということになるわけで、一般の人がこれは普通であるとみなすことが社会的相当性の枠内であり、その場合は該当しないことになります。
 つまり、法律が変わらなくても、その解釈によって、したがって、国民の意識のあり方によって司法の判断が変わってくる可能性があるということです。終末期の医療も、どれが違法かということは国民の意識のあり方によって変わっていく可能性があるいうことは考えておかなければいけないと思います。
 現に、川崎協同病院事件の高裁判決では、たった3人の裁判官で一般的・抽象的な基準を示すのは難しい、沢山の医療機関がGLをつくっていく、あるいは法律をつくっていく、そういう過程を経て変えていくべきではないかという見解が示されています。これは、司法も、こういう問題を司法の場だけで決めていくのは無理があるということを十分に自覚しているということではないでしょうか。
 そういう意味からも、医療現場でGLをつくって試行錯誤しながら、やがては国民の意識を変えていこうとする動きが重なることによって、必ずや事態は変わっていくだろうと私は思っています。

法による免責ですべてが解決するものではない

木村 GLが広まっていかない原因の1つに、GLどおりにやると罰せられるのではないかという不安があるのではないでしょうか。
横野 確かに終末期医療に関しては、法的に具体的なルールがありません。したがって、医療の世界で何があるべき姿だと考えられているのかが明確になっていないと、司法としても判断できない部分があると思います。もし、これから法律ができていくとすれば、それは、医療の世界で一定のルールがつくられ、それが多くの医療者に受け入れられた後に、それを反映させる形で法律ができるというのがあるべき姿かと思います。
 英米では判例法である程度のルールができていますが、具体的な運用部分まで法律が規定しているわけではありません。やはり、医療界である程度のルールをつくって、それを使いながら見直してよりよいものにしていく。それが十分に機能して社会の信頼を得ていけば、具体的な法律の規程というのは必ずしも必要ないのだろうと思います。
 恐らく、医療側から見れば、法律で何もいっていないから何が許されるのかわからないということがあることでしょう。しかし、司法は、そういう細かいところまで法あるいは裁判所がルールをつくっていくことは困難だと捉えているのではないでしょうか。それに、もし法律ができても、それで問題がすべて解決するわけではありません。結局のところ、GLのような形で現場がルールをつくっていくという過程が必要ではないかと思います。
 医師の免責についてですが、例えば、こういう場合には免責されるという法律ができたとして、それに従って行なったときに、その範囲だけは免責されるということはあり得るかもしれません。しかし、それは、国家がつくったルールのもとで、限定的にその部分だけ許されている、いわば小さな自由ではないでしょうか。
 一方で、医療界で色々なルールをつくり、それを自分達の手でよりよいものにしていくという方向性もあると思います。私は、小さな自由に満足して大きな自由を手放すという方向には向かってほしくないと思っています。そのためには、現場がルールをつくって、それを実際に使ってフィードバックしていく。そういうことを個々の医療機関なり医療者が実践していくということが、重要な意味を持ってくると思います。

法よりも医療者と患者・家族間の情報と意思の疎通が大切

徳田 今回の調査の結果、GLがあまり使われていなかった、また、医師自身の意思表示をどうするかという点に関して、我々がGLで考えたものとは異なっているということが判明しましたが、そこには色々な理由があるのだろうと思います。
 終末期という言葉は国民のかなりに浸透しつつあるし、以前に比べると、患者や家族が受け取る医療情報もかなり増えてきているので、終末期という状況の定義が具体的に示されていなくても、こんな状況が終末期なのではないかと認識されてきているのではないか。
 医療提供側も終末期を迎えると、かなり意識しながら説明をし、合意を得ながらやってきています。池上先生が手がけられた調査研究で示された事例をみても、こういう場合は延命治療を受けたいが、こういう場合は受けたくないという意思が意外にはっきり示されています。
 これはもう少し検証しなければだめですが、もしかすると、GLがなくても医療の現場はあまり困っていないし、実は、患者と家族も困ることが以前ほど多くはないのではないかというのが、結果に出ているようにも思うのです。
 法律の問題はもちろん重要ですし、突き詰めればそこまで行かなければならないでしょう。しかし、今は、そこまで突き詰めるという状況にはないのではないかと思います。
 インフォームド・コンセントが普及する中、現場では、医師や看護師ほかのパラメディカルが患者のそばに行って、家族とも話をする機会を増やしてきています。そうした中で、現場における終末期の認識は変わりつつあるのではないかと思います。
 そうであるとしたら、我々は、むしろインフォームド・コンセントの中身をもっと充実させ、情報の格差を縮める努力をし、その上で、終末期にある患者の意思をできるだけ聞き出す、あるいは家族にも普段からそう努めてほしいとお願いするということを積み重ねていくことによって、終末期の問題は解決していくのではないかと思うのです。
 したがって、法律の問題にあまりとらわれるのではなく、いい意味で変化していく、そうした方向に引っ張っていってほしいと思います。そうした意味からは、池上先生が参加する検討会がまとめた報告書に教育・研修の必要性が何回も出てきますが、私も、それが大変大事だと思います。