全日病ニュース

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AMAT をはじめ各チームが被災地を支援

AMAT をはじめ各チームが被災地を支援

【熊本地震関連】
病院支援や物資輸送を展開

AMATの活動を報告する大桃氏

 熊本地震関連のシンポジウム「熊本地震と医療体制、県内・県外の動き」では、今回初めて本格的な活動を行ったAMAT をはじめ、DMAT、JMAT、災害医療コーディネータ、熊本市医師会、上益城郡医師会の被災地への支援活動が報告された。現場からの詳細な報告により、今回の取り組みの成果を共有。今後の課題も浮かび上がった。
 全日病の救急・防災委員会の大桃丈知委員が、AMAT(全日本病院協会災害時医療支援活動班)先遣隊の活動報告を行った。熊本地震でAMAT は先遣隊、初動隊、第2次隊、第3次隊を派遣。40日間にわたり、43名が活動した。10カ所、8医療機関に対し、本部活動から病院支援、巡回診療の立上げ、物資の搬送などを行っている。
 大桃委員は、今回のAMAT の特徴として、①全日病と日本医療法人協会との協同作戦②先遣隊の派遣③物資等のプッシュ型の支援─をあげた。大桃委員は先遣隊に参加。看護師と薬剤師、職員の計4人のチームで、福岡空港までは空路、そこからはレンタカーで現地まで約7時間かかった。
 到着から48時間は情報収集に当たった。支援が必要と考えられる民間病院のリストを作成し、東京の災害対策本部と相談しつつ、最終的に、東病院(熊本市)と宇城総合病院(宇城市)を支援先に決めた。阿蘇立野病院などの被害も伝わっていたが、「阿蘇地域には物理的に入れなかった」という。
 東病院は、東熊本病院の病院避難の患者など、病床数の約1.5倍の患者を受け入れていた。先遣隊は全日病の安藤高朗副会長に現地対策本部を託し、DMAT から支援を引き継ぐ形で、東病院に入った。それが、「DMAT のクロノロ(時系列の活動記録)にAMATが初めて認知された瞬間」だった。
 宇城総合病院は、建物に亀裂が走ったが耐震構造で、診療を続けていた。
 ロビーを一般の避難者のために開放。
 DMAT は活動しておらず、慢性疾患の外来支援をAMAT に要請していた。
 大桃委員はこれらの活動を踏まえ、「災害医療の研修を受けた医療関係職種のチームで支援ができた」とAMAT の意義を解説。今後の課題では、被災地に近い地域から、AMATを派遣できるような本部機能が必要になると指摘した。

DMAT やJMAT、医師会の報告
 DMAT(災害医療派遣チーム)は、今回の地震で、前震の4月14日から10日間にわたり、全国から416隊(2,032人)を派遣した。大阪医療センターのDMAT 事務局の若井聡智医長は主な活動として、①熊本県庁災害対策本部医療班の指揮の支援②被災地3区域の活動拠点本部を災害拠点病院に設置(熊本赤十字病院・川口病院・阿蘇医療センター)③避難所のスクリーニング④亜急性期への医療救護班活動の引継ぎ─を実施したと述べた。
 また、「10カ所の病院が病院避難を行い、1,300人以上が他の病院に搬送された」と報告。「患者のいなくなった病院の経営問題がある」として、長期的な病院の復興に懸念を示した。
 JMAT(日本医師会災害医療チーム)の活動は、日本医師会の石川広己常任理事が報告した。前震の段階では、熊本県医師会単独での派遣を決めたが、本震を受け全国対応に切り替えたという。医師1名と看護師2名、事務職員1名のチームが基本で、最大78チーム(4月24日)が活動した。全日病も主要メンバーである被災者健康支援連絡協議会では、各省庁から報告を受けるとともに、各団体の情報を集約した。
 災害医療コーディネータの活動について、熊本県赤十字血液センターの井清司所長が報告した。災害医療コーディネータには、被災地の医療ニーズを把握するとともに、DMAT など様々な災害派遣医療チームの活動を調整する役割がある。熊本県で養成した15名のコーディネータが、DMAT 調整本部のスタッフとともに交代で県庁内の対策本部で活動した。コーディネータには各災害医療チームを指示する権限はなく、あくまで調整役だが、全体として大きな混乱もなく運営できたと総括した。
 熊本市医師会は前震と本震後に、会員543施設に向けアンケート調査を実施。本震後の「被災あり」の医療機関は52.4%、「被災なし」が20%だったが、未回答も多かった。通信回線が遮断された可能性があるため調べると、「60件で通信エラーがあることがわかった」。熊本市医師会の宮本大典理事は、「日常の医療が電気・ガス・水道と同じように、ライフラインの一つであることを改めて実感した」と述べた。
 上益城郡医師会の活動は、過酷だった。永田壮一会長の東熊本病院は前震による病院避難の広域搬送の最中に、本震に襲われた。病院は機能を失い、永田会長は健康福祉センター「ハピネス」に活動の拠点を移した。DMAT の活動を支援しつつ、本震5日後に、上益城圏域災害医療調整本部を立ち上げ、本部長に就任した。郡内でJMAT を編成できたのは、東熊本病院を含め2病院。
 車中泊を原因とするDVT(静脈血栓塞栓症)の啓発活動で、夜間に車のワイパーに小冊子を挟み込む「人海戦術」も行ったと報告した。

 

全日病ニュース2016年11月1日号 HTML版

 

 

全日病サイト内の関連情報
  • [1] 平成28年熊本地震活動報告|第875回/2016年7月15日号 HTML版 ...

    http://www.ajha.or.jp/news/pickup/20160715/news06.html

    2016年7月15日 ... 月の熊本地震に当たっては、AMAT の派遣や支援物資の提供など様々な形でご協力を
    いただき、深く感謝する。 ... 同病院の大桃院長は、救急・防災委員会の委員であり、
    災害医療の専門的知識を持っているため先遣隊として現地に入って ...

  • [2] 全日病ニュース・紙面PDF(2016年7月15日号)

    http://www.ajha.or.jp/news/backnumber/pdf/2016/160715.pdf

    2016年7月15日 ... 上で役立った。 先遣隊を派遣したことや Push 型の ... AMAT. や支援物資を含め、
    押し出していく形. の支援が大切である。 Push 型支援の一つとして、現地の. 活動拠点
    本部に全日病事務局員を派遣. した。 .... 大桃先生(白鬚橋AMAT)、金澤.

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