全日病ニュース

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終末期医療を標準化することが我々の課題

【終末期医療に関する座談会(その2)】

終末期医療を標準化することが我々の課題

医師に対する教育と研修も医療の側に課せられた課題

 全日病は2009年に「終末期に関するガイドライン」をまとめたが、その活用が進まないと判断した病院のあり方委員会(徳田禎久委員長)は、GLの普及とあるべき終末期医療の啓蒙を目的とした活動を進めることを決め、関係者を招いた懇談会を6月に開催。その1回目を8月1日号に掲載した。
*全日病のGLおよびGLの利用状況調査報告書は全日病のHPに掲載してある。  

木村 例えば、麻薬を使うと使わないときよりも確実に命は短くなる可能性がありますが、「それでも使いますよ」と家族と本人に説明して使うということがある。あるいは、大量に点滴して水膨れになってしまうよりは、水分を減らし、すっきりした形で亡くなっていく方がいい場合もあるかもしれません。実際、点滴で高カロリーを与えるというのは、反面、がんに栄養を与えて育てているようなものですから…。
 もちろんそこで大切なことは、本人または家族によく説明し、その了解のもとにやるということであり、医師だけで判断するということではないのは当然なわけですが。
宮澤 目的と効果と手段の問題だと思います。患者または家族にとって何が幸せであるかを考えるのが目的であるわけです。しかし、現実にそれを行なうのは医師ですから、医師が安心して行なえる環境をつくっていくというのが、一番大事なことだろうと思います。
坂本 終末期のガイドラインというのが、現在、7つほどあります。こんなにできているのというのはなぜか、また、共通のものがないのかというのがありますが、それぞれのGLを見ると、患者の意思を確認した上できちんと説明するという基本的なことはどこにも書かれているので、その点は法の精神に準拠してつくられている、つまり、医療界がしっかり取り組んでいるというのが分かります。
 徳田先生は、終末期の取り組み方はまずはうまく進んでいるのではないかと言われましたが、私は、どうして全日病の半分ほどしかGLの存在を知っていないのか、どうして2割しか活用していないのか、このように重大なことなのになぜこういう状況が起きるのかと疑問を感じてしまいます。
 先ほど医師の裁量権という言葉が出ました。胃ろうを勧めるのも医師の裁量権だと…。その裁量権を行使する前に医師は、患者や家族に、今の状況はこうだから、こういう治療方法が幾つかあるけれどもどうしますかと聞いていると思うんです。でも、それを聞かれたとしても、患者・家族にとっては決定できにくいのが現実です。
 私が市民向け講座で医療の仕組みなどのお話しをしたときに、患者の家族から、「胃ろうを勧められ、よく分からないまま造った。ところが5年半たって何も反応しない植物状態のようで、ムンクの『叫び』のような顔をして、何の表情もない。これを止めてもらうことはできるのか」と質問されたことがあります。
 こういう質問が実際にあるように、胃ろうもどのような意味か分からないのに勧められるままに作った。また、延命治療のことを言われても、患者・家族は頭が真っ白になっていますから、ますます何を、どう答えていいのか分かりません。ですから、担当医がどれだけ患者の立場にたってきちんと話をしてくれるか、そこが一番大事なことではないでしょうか。
徳田 私は決してうまくいっていると言っているわけではありません。先ほど、医師の側からの情報が足りないという批判をいただきましたが、当然そういう場合もあると思います。池上先生の調査では逆の傾向がうかがわれましたが、多分、まだまだ足りないものが沢山あるのだろうとは思います。
 にもかかわらず、それほど大きな問題にはなっていないだろうと思うのは、インフォームド・コンセントを充実させ、十分な理解のもとに患者の了解をとって進めていくという今の流れに、医師だけでなく看護師を中心とするパラメディカルも参加する方向ができていて、あるべき方向に向かう途中にあるのだろうということと、これは我々の調査だけでなく、国の調査も同様の傾向だったと思うのですが、医療より介護の現場で利用者や家族と話し合う時間が圧倒的に多くなってきたことで満足度が向上してきているので、終末期のあり方についても、インフォームド・コンセントによって妥当な方向に向かってきていると感じているからです。

一歩踏み込んだ情報を患者に提供することも必要

徳田 坂本さんが言われたように、私も標準化が必要だと思います。標準化によって、すべきことをきちんと行なう医師が増え、それがチームとしてできるようになり、その結果、同じ目線の治療が受けられる患者・家族が増えるわけですから、そのための努力をどうしていくのかが我々に課せられた課題であることは重々知っています。
 現状は、皆が意識的に良い方向を目指してきたというよりも、色々な積み重ねによって良い方向に向かっているだけなので、もっと努力をしなければならない、それが教育であり研修であるというように認識しています。
池上 ちょっと補完させていただくと、国の調査で医師にGLを知っているかとたずねたところ、知らないという回答の比率が高いんです。それは、診療科の特性などから、終末期にかかわらない医師が3分の1以上いるからです。したがって、医師ということで一括して括ると誤解を招きます。
 それから、7つもガイドラインがあるのはいかがというご意見がありましたが、終末期といっても、救急医がもつ関心と療養病院の医師がもつ関心はおのずと違うし、GLで規定すべきことも違います。基本的な部分は標準化する必要がありますが、一方でテーラーメードにしていく必要もあるわけで、現場によって違うGLがあるのはしかたがないことではないでしょうか。
 もう1つは裁量権についてですが、某臨床医がおっしゃるには、患者・家族から質問されたら延命治療の限界について話すことはあっても、医師の側からそれを積極的に説明することは躊躇するということがあるようです。
 したがって、「治ります」と患者・家族に言うだけでなく、例え求められなくても、「治りません」とか「延命してもこのくらいのQOLである」ということを告げるべきであると、医師に対する教育・研修の中で教えるべきではないかいう考え方もあります。
坂本 それは難しいですね。そうすると患者・家族は、医師が微妙に言ったことの奥行きを理解できないと思いますし、医師の言っている意味が分からないということになりませんか。
宮澤 インフォームド・コンセントの考え方の前提となるものが十分伝えられていないかもしれない。インフォームド・コンセントというのは単に説明する義務ではないんです。患者が選択をするために与えられる情報なので、同意だけでなく、その後どうなるか、一歩踏み込んだ説明というのも必要だと私は思っています。
 例え説明を受けても、この後どうなるかわからないという状況の中では、患者や家族はなかなか選択できません。したがって説明することが大事なのではなくて、何らかの選択ができる情報を与えるのがインフォームド・コンセントの根本だと思います。その意味では、一歩踏み込んだ情報の提供も、患者の立場からは必要ではないかと思います。
池上 説明するだけではだめで、さらに踏み込んだ、しかも、患者が理解できる言葉で説明しないといけないですね。ただ、少なくとも私が医学部のときにはそうしたことは教わっていません。今の世代の学部の学生はそれを分かっていますが、一般の40歳以降の医師は、そのような教育を、少なくとも大学では受けていないと思うのです。

終末期のインフォームド・コンセントの難しさ

宮澤 説明義務といっても、法律的な用語で言われると、単に説明すればいいのかということになってしまう。終末期医療の選択をどうしたらいいのかということを判断させるためにやっているんだという観点が、どうしても落ちてしまう。池上先生のように、ちゃんと分かる言葉で言わなければだめだというところまで、きちんと立ち入ってくださる医療関係者は非常に少ないと思います。
木村 各病院には、大事な手術とか大きな治療方針を決定する場合に定型的なルールが決められていて、その患者に、どういうことをやるか、それによって改善が図られる点、逆にそれによって生じる可能性、例えばどういう合併症が起きる確率とか、あるいは、その治療をやらなかったらどうなるかということまで全部説明しろということになってます。今、ほとんどの現場は、インフォームド・コンセントでマイナス面の話もしているのではないでしょうか。
宮澤 もう1つ必要です。ほかに選択可能な手段・方法の説明です。
木村 それもあります。ほかの方法も説明して、どれを選びますかということになるのですが、じゃあ、先生のお勧めはどれですかという話になって、自分で選択するというよりも先生お勧めのものにしますというようになりがちです。その一方で、医師がしたい方向に持っていく傾向がないとはいえないとも思うのです。
宮澤 全部説明して、どれでもどうぞと言われても、一般の人はなかなか分らない。そのときに、私があなただったらこの方法を選びますと助言するのは大事なことだと思いますね。
坂本 そこまで言ってくれる医師になかなかめぐり合えないというのが実態ではないでしょうか。
木村 そんなことはないと思いますよ。
徳田 私もそんなことないと思います。今は、ほとんどの病院で、インフォームド・コンセントに看護師が同席します。どんな話がなされたか全部メモがとられ、終わると、看護師は患者や家族に「理解していただきましたか」とか、「質問はありませんか」と確認をとっていると思うんです。
坂本 でも、色々な方から聞くと、必ずしもそうばかりではないようですよ。
横野 ある意味で当たり外れがあるということではないでしょうか。専門家として裁量を行使するのは、専門的部分である医療の質、そして、倫理性が制度的に保証されていることが前提になるはずです。その場合に、そのシステムと保証の中身が社会的に信頼されていることが重要になります。
 ところが、その質の保証の仕組みがこれまでの日本では十分でなかった。それで、近年色々な学会がGLを出しているように、それぞれの分野であるべき方向性が検討されるようになってきた。恐らく、将来的にはこれがコアな部分で標準化され、個別的・具体的なルールはそれぞれの領域で示されていく、今はその過渡期にあると思います。
 これは標準化の問題ともかかわっていますが、きちんと制度的に保障されているという信頼がないと、やはり、当たり外れがあるという実感が生じてしまう。医師にとっては当たり前な認識であっても外からはそれが見えにくいので、インフォームド・コンセントをどう実践していくかを標準化するとともに、それを見える形にして社会に発信していくことが非常に重要だと思うのです。いずれにしても今は過渡期で、色々なところで色々な議論がされていて、今後、それを集約していけばいいのではないかと思います。
 教育研修に関しては、例えばイギリスでは、GMC(General Medical Council)が継続的に医師に対するコントロールをしています。GMCがつくっている基準には終末期医療に関するものもあり、それが標準化された基準になっています。
 このように、標準化したものをどうやって仕組みとして担保していくかという点を、これから考えていかなければならないのではないでしょうか。
木村 教育研修や啓蒙活動をどうしたらいいかということは全日病の課題にもなっています。そこには、医学生や医師だけでなくパラメディカルに対するものが、さらには、国民つまり医療を受ける側に対する啓蒙活動・教育・研修という2つがあると思うのです。ところが、医師に関しては、医学部でそういう教育をやってこなかったわけです。