全日病ニュース

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ホーム全日病ニュース(2021年)第1000回/2021年12月15日号50余年にわたって全日病、病院界、医療行政の歴史を証言!

50余年にわたって全日病、病院界、医療行政の歴史を証言!

50余年にわたって全日病、病院界、医療行政の歴史を証言!

 「全日病ニュース」は本号で1000号を迎えた。創刊から53年にわたって発行を重ねてこられたのは、会員病院の支援のたまものである。
 本紙は、機関紙として主に全日本病院協会の活動を報じてきたが、それは、わが国の医療行政と病院の歴史をつまびらかにする作業でもあった。1000号までの紙面の一端を紹介し、今にいたる歩みを振り返る。


■全日病の設立
 全日病は、国民皆保険制度が成立する前年の1960年(昭和35年)に設立された。2年後に機関誌「全日本病院」(現在の「全日本病院協会雑誌」)を発行している。

■「全日病ニュース」の創刊
 「全日病ニュース」が創刊されたのは1969年(昭和44年)2月20日(写真1)。当初は月1回の発行であった。判型は現在と同じタブロイド、紙面は横組み(4段)を採用した。横組みは当時としてはきわめて斬新だった。
 タイトルは「全日病ニュース」でスタートしたが、第7号から「全日本病院ニュース」に変わり、その後、第220号から再び「全日病ニュース」に戻した。紙面レイアウトも、縦組みとした時期もあったが、再び横組みに戻して現在にいたっている。
 また、第233号(1989年4月1日)から、月1回の発行を月2回発行とした。
 創刊にあたって編集委員会(現在の広報委員会)が設置された。創刊後しばらくは、代議員会や中医協等重要な報告は編集委員や役員が自ら執筆した。

■日本医師会と共闘
 1960年代の中医協は主に医療費の引き上げをめぐって、夕刻ときには早朝3時半の開催、深夜さらには徹夜におよぶ審議、2泊3日のマラソン審議、半年以上にわたる休会など荒れに荒れた。こうした動きを「全日病ニュース」は会報ともども克明に報じた。
 政府・厚生省の医療費抑制策に反対した日医は、武見会長の下、1971(昭和46)年6月に健保医総辞退を実施。これに小澤執行部は、「会長声明」で会員に協力を訴えた(写真2)。

■合同と分離
 当時、病院団体の全国組織は全日病と日本病院協会に代表された。1960年代後半、各県の病院協会に全国的病院団体の統一を求める声が高まった。
 1972(昭和47)年5月の全日病代議員会・総会は日本病院協会との合同を承認。1974年10月4日の臨時代議員会・臨時総会は全日病の条件付解散を承認。両団体は10月18日に合同し、日本病院会が発足した。かくして全日病は活動を停止。「全日病ニュース」も第69号(10月31日)をもって発行を停めた。
 しかし、発足まもなく、日医や全国公私病院連盟との関係などで意見が対立、18人の理事が脱会するにいたり、旧全日病の主要メンバーは、再建に立ち上がった。
 その結果、社団法人の解散届が出されていないことや解散決議の手続きに瑕疵があるなどから、1975年(昭和50年)10月28日の代議員会・総会で解散の白紙撤回と再建を決議。「全日本病院ニュース」も10月13日の第70号をもって復刊した(写真3)。

■医療計画を導入
 第1次医療法改正が1986年に施行され、地域医療計画制度がスタートした。これに伴っていわゆる駆け込み増床が起きるなど、全国の病院は医療提供と経営の両面から体制強化に努めた。
 「全日病ニュース」は、こうした医療法改正の情報を一貫して報じてきた。

■日帰り人間ドックを開始
 全日病は、1982(昭和57)年7月に全国法人総連合と日帰り人間ドックの提携を実現。1988年12月には健保連とも契約を交わした(写真4)。

■民間病院連絡協議会の発足
 1993(平成5)年4月、全日病、医法協、日精協の3団体は民間病院連絡協議会(民病協)を発足させた。2000年6月、民病協は日病を加えた四病院団体協議会(四病協)へと改組。さらに、2005年4月には日本病院団体協議会(日病協)が結成された。
 「全日病ニュース」は、本会の動きにとどまらず、こうした四病協、日病協の動向も詳しく報じてきた。

■「病院のあり方報告書」
 会長の諮問機関である中小病院あり方委員会は、1994年2月に第一次報告書を答申(写真5)。その後、中小病院のあり方に関するプロジェクト委員会は、1998年9月に「中小病院のあり方に関する報告書」をまとめた。以後、「病院のあり方に関する報告書」として内容を深化させ、7次にわたって報告をとりまとめ、提言を行ってきた。

■公的介護保険制度の創設
 介護保険法が2000(平成12)年4月に施行された(写真6)。同制度成立にいたる審議過程を含め、「全日病ニュース」は、介護保険制度の改変や動向に十分な紙面を割いてきた。

■DPC制度の導入
 急性期入院医療のDPC制度が、2003年(平成15年)4月から特定機能病院等の82病院に実施導入された(写真7)。以後、順次対象病院を拡大していった。

■巨大地震の発生
 1995年1月17日に関西地区を襲った阪神・淡路大震災は、マグニチュード7.3と、当時戦後最大規模の地震であった。
 さらに、2011年3月11日には、マグニチュード9.0と国内観測史上最大規模の東日本大震災が発生(写真8)。全日病は直ちに災害対策本部を設置し、会員病院による現地救援活動や各種後方支援に乗り出した。
 「全日病ニュース」は、本会の支援活動や医療救護班の活動などを詳しく報道した。

■医療法人制度改革
 2007年4月に施行された第5次医療法改正により、社団医療法人の法規制が大きく変わるとともに「社会医療法人」が創設された。「全日病ニュース」は、医療法人制度など、医業経営にかかわる規制改革の動きを詳しく報じてきた。

■「地域一般病棟」が診療報酬に反映
 全日病が提唱した「地域一般病棟」は、その一歩として、2004年度の診療報酬改定で「亜急性期入院管理料」として導入されたが、さらに、2014年度改定で「地域包括ケア病棟入院料(入院医療管理料)」が新設され、日の目を見た(写真9)。

■マイナス改定続く
 政府の社会保障費抑制策により、診療報酬改定は2014(平成26)年4月、2016年4月、2018年4月と3改定連続のマイナス(ネット)となった(写真10)。「全日病ニュース」は、改定率や改定の内容について、議論過程を含めて詳しく報じてきた。

■地域医療構想
 2014年10月に施行された医療介護総合確保推進法(医療法関係)によって、第7次医療計画に「地域医療構想」が位置づけられた。これによって、2025年の人口推計から高度急性期、急性期、回復期、慢性期の4つの医療機能ごとの病床必要数が導びかれ、区域・機能ごとの病床の機能分化・連携が誘導されることになった(写真11)。

■介護療養型の廃止
 2011(平成23)年の介護保険法改正によって介護療養型医療施設の2017年度末廃止が確定し、2018年4月に新たに介護医療院が創設された。
 「全日病ニュース」は、介護療養型を中心に介護保険に関する情報を継続して提供してきた。

■全日病50周年
 全日本病院協会は、2011年1月13日に創立50周年記念行事を実施した。また、本会の公益社団法人化が認定され、2013年4月1日をもって移行した。機関紙ともども着実な進化成長を遂げた全日病の半世紀であった。

 

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  • [1] 2018.7.1 No.920

    https://www.ajha.or.jp/news/backnumber/pdf/2018/180701.pdf

    2018/07/01 ... し各区域では現在、大きな問題が起き. ている。2025プランに対応して、公立. 公的病院が医療法に基づくこれまでの. 病院機能の明確化と役割分担という ...

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