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ホーム全日病ニュース第808回/2013年9月1日号民間病院、診療所、大学病院が東日本大震災...

民間病院、診療所、大学病院が東日本大震災の教訓を語る

民間病院、診療所、大学病院が東日本大震災の教訓を語る

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【2013年度夏期研修会】
岩手県支部「市民公開講座」と銘打って市民に無料で公開

 岩手県支部(岩淵國人支部長)が担当する全日病の2013年度夏期研修会が、8月25日に岩手県奥州市(プラザイン水沢)で開催され、約120人が参加した。
 「東日本大震災からの復興」をテーマに、医療施設の立場から3人の講師が、11年3月11日の被災体験を踏まえて、復興と医療災害支援のあり方について、それぞれの立場から証言と提言を行なった。
 公益社団法人へ移行してから初の開催ということもあり、今回の夏期研修会は「市民公開講座」と銘打たれ、一般市民に無料で公開された。

 

 最初に登壇した医療法人財団仁医会の鹿野亮一郎理事長は、津波に襲われた釜石のぞみ病院(154床)の1階すべてが浸水するまでの数分を収めた写真を公開。その勢いとスピードを実感させる画像で津波の恐ろしさを訴えた。
 隣接した公園に避難した市民約1,000人を受け入れたため、院内は大混雑となった。電気、水道、ガスの供給が断たれたために診療をあきらめ、150人を超える入院患者の他院への移送を決意。自衛隊の緊急車両を得て、重症患者中心に128人の搬送を4月2日に終えることができた。
 「もっとも大変だったのがトイレだ。仮設トイレと給水タンクが設置された3月20日までは本当に苦労した」と振り返った。
 釜石のぞみ病院は2007年4月に市民病院の経営委託を受けて再出発した病院。「ようやく赤字から脱却できたところだった。MRIをやられたのが一番痛かった」と語る鹿野氏は、「診療が再開できない間も職員には給与を支払い続けた」ことに言及。必死に経営維持に努めた民間病院の苦労と意気地をのぞかせた。
 「復興まで丸2年かかった。県からの援助は1千数百万円に過ぎない。公的病院とは1桁違う」と慨嘆する一方で、体験をもとに「民間病院が個々に判断しなければならない問題」を示して、全国民間病院の参考とした。
 続いて、志津川湾を望む平地にたたずむ南三陸志津川クリニックの高橋寿院長が、「60歳を過ぎて開業した」施設は全壊流出となったが、人工透析中の患者をいち早く避難させて1人の被害も出さなかったという貴重な体験を語った。
 「震度6というのは人がぶっ飛ぶほどの衝撃だ」と述懐する高橋氏は、過去の歴史から三陸は津波が多いことを知っていた。
 そこですぐに避難を決断した。「返血せずに離脱回路を接続ディスポ圧巾で覆って避難するわけだが、中には91歳の方もおり、外シャントにして患者を器械から切り離すのが大変だった。たまたま患者さんが14人と少なく、自院スタッフ9人に2人のヘルプが得られたので、なんとか津波がくる前に避難することができた」当時の南三陸町はほとんどの人が「大きな津波なんてくるわけがない」と信じていた。高橋氏が患者を避難させた先の施設も「我々をみて、いっとき、どうしたんだと奇異な目で迎えた」という。だが、この判断は大正解であった。4階建ての南三陸志津川クリニックは一瞬にして津波に呑み込まれ、流され、消えてしまったからである。
 体験を踏まえ、高橋氏は、危機意識をもつこと、そして「避難の場所・経路・手段の選定と用意、食料、水、防寒具、照明、救急機材、薬等の備蓄と通信手段の確保」を怠らないことを教訓にあげる。その上で、「被災しても3日頑張れば何とかなる。例え透析患者であってもしのげる」と述べ、希望を失わないことを強調した。
 最後に登壇した岩手医科大学の小川彰理事長・学長は、津波災害の実状を動画を交えて説明しつつ、災害医療体制のあり方について語った。
 「外傷中心の阪神・淡路大震災を踏まえて生まれたDMATは3日間の医療支援が目的であったため、今回は活動の場がなかった。そこで1週間の滞在をお願いし、次の支援チームにつなげてもらった。
 その中、我が大学で被災地の偵察を行なったところ、支援チームがバラバラに動いていることが分かった。そこで、岩手県の災害対策本部に医療担当専従者を派遣し、医療支援のネットワークセンターを設置してもらった。全国から4,000を超える支援の申し出があったが、条件を課して、7月までに495チームに派遣をお願いした。その上で、避難所等の活動場所ごとにチームの所在を明記した工程表をつくって全体を掌握した」と、岩手で成功した県レベルで医療コーディネーターを機能させる方式を概括して説明した。
 小川氏は「旧に復するのではなく、すべてを白紙にして、ゼロから医療提供体制を構築し直すべきである」と、今後の復興のあり方に言及。
 広大な面積をもつ岩手県では遠隔医療が重要になるとの認識から、その診療制限緩和を含む遠隔医療の導入を中心とした「いわて過疎地・被災地地域医療の新モデル」の構築が必要であると強調。
 「国は、ガソリン等のエネルギーや薬の供給で出遅れ、復興庁の設置に1年もかかった。しかも、そこに一本化した権限をもたせていない。大災害には初動が決定的に大切である上、支援と復興の機関は霞ヶ関ではなく、被災地にこそ設置すべきである」と訴える小川氏は、南海沖地震等が予測されるなど「今回の経験は日本全体の問題である」と結んだ。