全日病ニュース

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「生活支援型急性期病院」としてイノベーション起こす

【シリーズ●若手経営者に聞く③】

「生活支援型急性期病院」としてイノベーション起こす

医療法人社団東山会 調布東山病院 理事長 小川聡子

 若手経営者は、どのように病院経営に取組み、どんな医療を目指しているのか。若手経営者の本音を聞くシリーズの3回目は、調布東山病院の小川聡子理事長です。
 先代から医業を継承する際に悩んだことや急性期病院でジェネラル、早期リハビリ、多職種協働に取組む考えを語っていただきました。

悩んだ末に病院経営を承継

―法人の概要を教えてください。
 83床の急性期病院(非DPC・7対1・重症度28%・稼働率89%・外来透析センター・ドック健診センター内包)と2つの透析クリニックがあります。
 創業は1982年で、私の父である先代が地域医療への貢献と大学病院に負けない医療を目指して開業しました。
 クリニックを合わせた法人の職員数は、非常勤を含め360人です。
―理事長に就任した経緯を教えてください。
 兄弟が3人いて私は真ん中ですが、医師は兄と私の2人です。創業以来、兄が病院を継承する前提ですべてが進んでいたのですが、兄はスペシャリストの道を進みたいという思いがあり、父兄ともに悩んでいたようでした。
 私が医師になって10年目の2003年のことですが、父が体調を崩したときに当時の院長(父の同級生です)から、兄弟のうちどちらか病院に帰ってこないかという話がありました。兄はスペシャリストとして頭角を現していた時期なので、自由のきく私が先に病院に戻り、兄が帰ってくるまでの間、手伝うことになりました。
 その頃から、兄は病院に戻らずに自分の専門を極めたいのではないかとなんとなく感じていました。父もそのことを感じていて、かといって、病院経営はハードな仕事であり、女の私に背負わせるのは酷なことだと悩んでいたようです。
 2006年に父が多発性骨髄腫という病気にかかっていることがわかりました。
 2007年から父は闘病生活に入り、私には現場の仕事を誰よりもやってみせなければならない立場に、経営者として判子を押す仕事が加わりました。
 父が病気になる直前に呼ばれ、兄が病院を継がないと言ったことを聞きました。「病院経営はたいへんなことなので、君が病院を継ぐか、あるいは第3者に売却してもいいので、自分で決めなさい」と言われました。
 当時、主人もいつ東京を離れるか分からない立場でしたので、非常に悩みました。「君の人生なのだから、自分で選びなさい。支持するよ。」と言われました。そして私は父が目指した医療に共感し、父に30年間ついてきた職員を捨てることができなかった。
 父には、「やらないという言葉はどうしても言えない。ただ、やれるかどうかわからない。それでもいいですか」と言って、私が継承することになりました。前向きとは言えない選択です。
―先代が目指した医療をどう感じていたのですか?
私は、慈恵医大の出身ですが、慈恵医大には、「病気を診ずして病人を診よ」という理念があって、それが私の信条に合っていて、父が目指した医療にも一致すると思いました。職員も地域や患者さんを大切にして仕事をしていました。

試行錯誤ではじめた理事長職

―理事長になった当時のことを教えてください。
 とにかく目の前のことに取組む以外にありません。父が亡くなる半年前に新病院のプロジェクトがスタートして走るしかなかったですね。私も不安でしたが、周囲も不安だったと思います。
 今は笑い話ですが、幹部達は「理事長があちこちで現場とぶつかっている。
 大丈夫か」と思っていたそうです。私は私で、自分の方針が正しいのか、職員をうまく盛り上げられない自分の実力は何なのかと悩みつつ仕事をしていました。
―試行錯誤の時期だったということでしょうか。
 そうですね。ですから、いろいろな人の話を聞きました。研修会や講習会に出かけていって、心に響く話を聞いたら、連絡をつけて話を聞きましたし、病院だったら見学に行きました。その頃から、お付き合いしているコンサルタントの方もいます。
 その中でわかってきたのは、結局は自分次第だということです。権利ばかりを主張するドクターがいて困っていると相談したら、「自分がどんな病院にしたいと思っているのかを話しているのか」と言われました。自分の方針を理解してもらうために自分はどう振舞うべきか、そのためにどんな知識が必要なのか、そういうことに集中しなければいけない、ということを学びました。
 「最後に責任をとるのは先生なのだから、思った通りにやっていいんだよ」と、主人も含め何人かの人に言われて、そうだなと思いました。私の考えと合わずに病院を去っていった人もいますが、それも含めて自分で責任をとるのであり、いろいろ言われても、言っている人は責任をとるという視点で言っていない、と思うようになりました。

新病院で組織づくりに取組む

―新病院の建設は順調に進んだのでしょうか?
どんな病院にしたいか真剣に考えました。幸いに素晴らしい設計会社に出会えました。その方々が、現場の意見を吸い上げて新しい病院をつくってくれたので、職員みんなで新病院に向かって走っていくことができました。
 むしろ病院が建ったあとのほうがたいへんでした。先代を支えていた核になる人が病気で亡くなったり、病院を辞めたりして、地域からも「東山病院は大丈夫か」と見られていた時期です。
 ただ、自分の中では、病院の方向性を示してやれるだけのことはやっていたので、それに合わずに辞めていく人はしようがない、と思っていました。
 そこで抜けた穴をどう埋めるかを真剣に考えました。自分が信頼して任せられる人を入れるしかない、と思いました。現在の企画部長はその1人で、医療とは違う分野から来ていただき、組織づくりに力を発揮しています。
 彼は、病院の方針や経営状態をすべて「見える化」してくれ、インアクティブな噂が減り、風通しのいい組織になりました。
 管理職研修をはじめ、管理職のスキルアップを図り、コミュニケーションの場を増やし、1年に一度の職員総会を開くようにもしました。年度末の日曜日に集まってもらって、全職員に対して経営方針を、私と幹部が説明します。幹部も必死に考えてくれます。
 それから、職員を賞賛する仕組みが作られました。現場で働いている風景をデジカメに撮って、1年間の活動をDVDに編集して職員総会で上映します。医療者は、自分が働いている場所しか見えていない人が多いのです。違う現場でがんばっている人がいることを知ると元気をもらえるし、自分もがんばろうという気持ちになる。

患者の機能を落としきらない

―目指している病院の姿を教えてください。
 急性期医療から在宅へ、そして地域づくりを視野に入れた医療を展開したいと考えて、「生活支援型急性期病院」を目指します。7対1の急性期病院ですが、治療して終わりではなく、入院したときから生活者に戻すことを目標にして、多職種で退院支援に取り組み、地域づくりも意識しながら医療にあたる。私たちができないことは地域の人の力を借りて、患者さんが持っている能力が落ちないうちに生活の場に帰ることを目指します。病院でのやり取りを通じて、患者の状態を、ご家族、地域の方々と共有し、我々も地域の状況、患者の生活の場の状況を理解するよう努力しています。急性期病院こそ、医療のあり方・姿勢を変革していくことが、これからの社会には重要だと思います。
 そのために私たちの病院では、何よりも、急性期の医療の質の維持が重要と考えています。忙しい中、カンファレンス・講演会・学会活動の時間を捻出して、ジェネラリスト(病院総合医)として、自分の専門以外の患者を受け持ち、治療を通して教えあいながら実力をつけていきます。最近当院では、高齢者医療で多い、肺炎・腎盂腎炎・腰椎圧迫骨折のDPCデータにより、院内の傾向を探り、パスを作ってガイドラインに基づいて標準化する取り組みも始めました。他疾患にも広げていく予定です。
 そして、真の多職種協働が機能すること。例えば、誤嚥性肺炎ですが、点滴や薬だけでは治りきらないことが多い。当院では、点滴治療と同時に、急性期リハビリが開始されます。なぜ誤嚥するのか、嚥下専門看護師やSTの注意深い観察とアセスメント、病棟看護師や家族への丁寧な指導で、「その人らしく」在宅に戻すことが出来ます。
―新しい病院で、その考えを具体化したのですね?
新病院の設計の際に絶対リハビリが必要だと思っていました。偶然、大学の同窓会で同級生のリハビリテーション医に会って、「急性期のリハをやりたいので、来てくれる?」と頼んで、来てくれることになりました。しかし当時は、急性期でコストのかかる医師(リハビリ専門)を雇うのは、思った以上に高いハードルでした。彼女には、最初は内科医として外来や病棟で患者を診てもらわなければならないと伝え、彼女もそのあたりは理解してくれました。そして、彼女が紹介してくれたPTに新病院プロジェクトに入ってもらい、施設基準に沿った100m2のリハ室をつくりました。
 新病院では、リハビリスタッフが早期から介入することで、リハの重要性を皆が理解し、今ではそのリハビリ医は外来1コマ(本人が残したいと言ったため)のみで、存分に専門に専念してもらっています。
―早期リハによってベッドの回転がよくなる効果もありますね。
 在院日数のために仕事をするのではなくて、人を治すときの最適日数があると職員に言っています。入院が長引けば、寝たきりになってしまうので、患者の機能を落としきらない、適切な急性期治療・リハビリの結果の目標値として、在院日数があると。
 病院の都合で患者が転々とするのが今の医療。急性期、回復期、慢性期という機能区分がありますが、それに患者をあわせるのは違うと思います。患者の体の状態の中で、急性期、回復期、慢性期がある。療養病棟に行く必要がある人はいますが、急性期で不必要な回復期、慢性期の患者を作りあげているのではないかと感じています。急性期こそ、変革が必要なのです。それは、退院後の生活者としての患者を、いかに想像しながら、治療目標を立てられる医療者が増えるかです。そして、多職種の力を借りようと思えるかです。
 私たちは、「生活支援型急性期病院」として「急性期から在宅へ」でイノベーションを起こしたい。
―最後に全日病に対する期待を。
 私は、全日病からたくさんのことを学んでいます。幹部の方々が、医療はこうあるべきだという視点で真剣に考えていて、それ故に全日病は影響力を持っていると思います。地域で求められるものに対して、自分たちがどうあるべきかという視点で政策を提言していく限り、全日病は発言力のある組織であり続けると思うのです。期待など偉そうなことを言う立場にありません。