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ホーム全日病ニュース第806回/2013年8月1日号特別鼎談/高齢者医療における病院の役割(1)

特別鼎談/高齢者医療における病院の役割:日本が直面する大きな課題は後期高齢者に対する医療!

特別鼎談/高齢者医療における病院の役割(1)
日本が直面する大きな課題は後期高齢者に対する医療!

「在宅医療・介護と認知症は地域の病院が引き受ける」

■プライマリ・ケアの議論から中小病院の役割を明確化

丸山 全日本病院協会は2月にプライマリ・ケア検討プロジェクトを立ち上げました。本日ご出席の織田先生ほか数名の先生方で構成され、西澤会長、猪口・神野両副会長にもご参加いただき、私、丸山が責任者を務めています。プロジェクトを立ち上げた目的は、高齢社会を迎えて、在宅医療、地域包括ケア、認知症への対応がますます重要となる中、全日病として地域医療の前線を担っている中小病院の役割を明確にするとともに、会員病院に有用な情報と研修機会を提供することにあります。
 プロジェクトはこのほど常設の委員会として認められましたが、これまでの議論で、「在宅医療・介護と認知症は中小病院も担う」ことを国民にアピールすることから活動をスタートしようではないかという方針を確認しています。
 そうした活動の一環として、プライマリ・ケア検討委員会は、この9月に認知症の研修会を開催することを決めました。
 本日は、高齢者医療を中心に日本の医療が直面している課題について議論させていただき、そこにおける中小病院の役割を明らかにしたく、大島伸一先生をお招きしました。

 

■デスを意識した医療を議論すべき時期にきている

大島 最初に確認したいことがあります。その1つは、高齢化が極めて急速に進んでいますが、それによって医療需要が劇的に変化している。しかも、その変化は量的だけではなく、質的な問題を伴って出現しているということです。20世紀は、生存率の向上あるいは生命予後の延長をエンドポイントにした医療、いわば、50歳から60歳までの医療でした。ところが、これからは80歳や90歳を主体にした医療へと大きく変わります。言い換えれば、QOLさらにはQOD(Qualty of death)の追求です。これは小手先の対応で済む話ではなく、一度リセットしなければいけない、そういう時期を迎えています。
 次に、これまでの医療を支えてきたシステムがあり、その下で、我々はWHOが世界一と評価した成果を上げてきました。これをひっくり返して新たに何かをつくるという考え方もありますが、この前提をまずは受け入れようではないかと思うのです。その上で、変わるものと変わらないものをきちんと区別しなければならない。実は、根本的に変わるべきは人、つまり、我々医療人と国民だということです。
 今後の展開を考えると、急性期医療の姿というのはもう決まっており、その最先端化は変わりなく進みますが、治すという技術には限界があり、これからの医療は、QOLの向上あるいは侵襲の少ない技術という方向に向かうのではないか、そして、デスを意識し、重視する医療になっていくのではないかという点です。
 この問題はこれまではタブーとされてきました。しかし、これからは、圧倒的に増えてくる死に対してデスを意識した医療に向かわざるを得ない。つまり、老化とそれに伴って起きてくる認知症など老年症候群のさまざまな問題を、医療としてどう位置づけていくかが求められていくと思うのです。
 医療提供体制の出口としては病院から地域へ向かうという概念があり、そのキーワードは在宅医療です。これは、ほぼコンセンサスが得られている。残る課題が真ん中、つまり急性期と在宅の間です。実は、私はここの需要が大変多いと思っているんです。それにもかかわらず、その部分のシナリオができていません。
 例えば、現在のワイングラス型から2025年にはつぼ型へと変化していく患者構造があります。あの方向性は大きくは間違っていないと思うのですが、そうした変化は、真ん中部分が一番多くなることによって生じるのです。では、そこを一体どういうふうにしていくのか。私は、この問題に我々自身が答えを出すしかないだろうと考えています。

 

■高齢患者への医療には国民的合意が必要

丸山 今のお話を整理させていただくと、まず、人口と人口構成の変化があります。そして、ルーラル(地方)とメガロポリス(大都市)の問題、さらに、高齢者の疾病構造の変化がある。そういうことを踏まえて、日本の医療が直面する大きな課題は後期高齢者の問題に尽きるということかと思います。
 大島先生は、そうした問題に向けて我々は自ら変革してきたかと問われる。これまではアドバンストケアばかりに目が向いて、リアルな現実への対応ができていない、今こそ、我々は自らそうした課題に立ち向かうべきではないかと…。
大島 おっしゃるとおりです。
織田 確かに医療需要は大きく変わりつつあります。全日病は、病院のあり方委員会を中心に、こうした変化にどう対応するべきか、地域医療を支える中小病院は、今後どのような役割を担っていくべきかということを議論してきました。その議論を踏まえた上で私の考えを申し上げると、今まで、急性高齢患者への医療には国民的合意が必要期医療を担う多くの病院は高密度の医療を目指してきましたが、高齢化が進んできますと、地域に必要な急性期医療というのは、診療所をバックアップし、高齢者にふさわしい医療の提供ではないかと思うのです。
 高度の医療を担う3次救急の病院は基本的に治療主体です。しかし、我々のように地域に密着した病院というのは、どちらかというと、患者をいかに在宅に帰していくかが求められます。そうした中に、高齢化に伴う医療提供のあり方の問題があります。
 実際、我々の地域では、75歳どころか85歳以上の患者が救急搬送されてくるケースが増えています。こうした高齢患者は、治療することももちろん大切なことですが、一方で、いかに最期を看取ってあげるか、まさにQODというのが大切なんです。これはもう大きなテーマになっていると思います。
 ただ、この問題は、地域や国民のコンセンサスがないと、我々だけではどうしようもない。だから、現場にとっては、いかに質の高い死を迎えさせるかが大きなテーマになっているのですが、そこのところが、今、大きな壁になっているというのが実情です。

 

■国民的合意を得るためには我々がすべきこと

大島 そのとおりで、国民が動いてくれないと我々だけではどうにもなりません。医療の中身を一番分かっているのは医師です。しかし、実際の診療の場で、医師が医学的な適応を判断しようとするときに、社会的な適応の問題と多様化する価値観の適応の問題が立ちはだかり、最後は、医学的な適用よりも価値観による適用のほうが大きくなってしまっているというのが現実です。
 患者が死に向かいつつあるときに、医師として「もうこれ以上やっても幸せにはなりません」と言えるかどうかが一番大事なことなのですが、そこで、医師の側にも、医師としての判断と個人としての価値観がないまぜになって出てきている。個人それぞれの価値観というのはもちろん大事ですけれども、医学的に見たときにどうなんだということについては、これはやはり、はっきりと言うべきではないでしょうか。
丸山 役所やお上が何とかするだろうということで今まではやってきた。ある意味、私どもはそれに誠実に対応してきたわけですが、結果的にはこのような状況になってしまった。しかし、事態がここまでくると、そろそろ、我々は踏み出すべきではないかと思います。
 全体の医療をもう少し違うものに変えていく必要を感じています。
大島 同感ですね。20世紀は、成長というキーワードの下で、平均寿命が50歳、60歳を目指した医療でした。とにかく治す。治し切ればQOLも向上するし、生命予後もよくなると。それで大きな矛盾はなかったんです。ところが、平均寿命が80歳、90歳という時代になったら、もう明らかに限界がある。加えて認知症が台頭してきた。入院患者が平均70歳を超え、どこも認知症が大体3割はいる。ちょっと重症が多いところは7割ぐらいいるという状況がある。そうした、今までと様相がまったく違う事態に直面しているのです。
織田 我々は若い頃、一日でも長く生きてもらうことが大切だと教えられました。それが今は違ってきているということは、我々自身、肌で感じています。ただ、一人一人が声を出しても、それがなかなか全体の声にならない。そういう意味では、我々自身死に対する議論をちゃんとした上で、病気は医療で治るが老化は医療では治せないのだと、だから、例えば半年長生きしたとしても必ず死は訪れるのであって、それは医療で何とかできるという問題ではないということを、組織としても発信していかなければいけないと思います。

 

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