全日病ニュース

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地域包括ケアの中核施設として住み慣れた地域で満足できる看取りを提供

【シリーズ●若手経営者に聞く②】

地域包括ケアの中核施設として住み慣れた地域で満足できる看取りを提供

医療法人聖仁会 西部総合病院 理事長 西村直久

 若手病院経営者の本音を聞くインタビューをシリーズで掲載しています。
 第2回は、埼玉県で地域包括ケアの中核施設を目指す西部総合病院の西村直久理事長。先代を在宅で看取った経験が病院経営の基本理念になったと語っていただきました。

本部組織を置いて二つの法人を一体運営

― 法人の概要を教えてください。
 医療法人が二つあり、埼玉県さいたま市(旧浦和市)に医療法人聖仁会、春日部市に医療法人光仁会があり、二つの法人をあわせて聖光会グループを形成しています。3病院、1クリニックがあり、総病床数は566床ですが、埼玉県の医療計画で病床の公募があり、38床の増床が決まっているので、それをあわせると604床になります。訪問看護ステーションなど全部で17事業所があり、職員数は約1,025人です。
― グループの沿革を教えていただけますか。
 今年で創業45年になります。1972年に春日部で27床の個人病院からスタートして、その後、医療法人化したときに2つの法人ができて、2つの法人を一体運営するために白十字協議会という組織をつくりました。目的は、学術的な研修と病院経営に関する情報の共有であり、それが発展して1984年に聖光会グループになりました。本部組織を置いて、財務、経理、総務、人事の機能を集約し、経営企画室、人材開発室、広報・IT 推進室といった部署を置いています。
― どんな医療を目指していますか。
 地域包括ケアシステムの中核を担う病院になることを目指しています。具体的な機能としては、高度急性期の後の地域に根ざした急性期入院機能、回復期機能、慢性期機能、そして在宅医療を中心とした居宅介護事業です。これらを地域における我々の役割として構築することを目指しています。

事業承継に際して病院の現場を経験

― 事業承継の経緯を教えてください。
 理事長としては2代目です。創設者は私の父ですが、医師ではありません。
 ある病院グループの事務長をしていましたが、40歳で独立して、非医師の理事長として西部病院を立ち上げました。
 父は、57歳のときに前立腺がんを発症し、見つかったときは末期の状態で65歳で亡くなりました。当時、私は獨協医科大学越谷病院の循環器内科に勤務していましたが、親族で病院を継げる医師がいなかったので、急きょ、後を継ぐことになりました。
― 大学病院から地域の病院に移ったわけですね。
 先代が亡くなる2年前から非常勤で病院には行っていましたが、当時32歳で、病院経営のことは右も左もわからない状態でした。できることは、一生懸命に医療をすることしかありません。
 入院も外来も担当し、当直もずいぶんしましたが、今考えてみると、あの時に現場を経験したことが糧になっていますね。必死に働いたことで、職員がついてきてくれたのだと思います。
 本部組織があって、先代の頃から病院経営の方向性はある程度できていましたので、私は医療に集中できたという面もあります。
― 最初は医療に専念し、徐々に経営のことを学んでいったと思います。
 どのように経営を勉強したのですか。
 まず、西部総合病院の院長になって、診療部門のマネージャーの仕事に必死になって取り組みました。患者宅や介護施設への訪問診療もしましたが、それまで大学病院の勤務だけでしたので、いい経験になりました。
 経営に関しては、理事会や本部事務長会などの会議がありますので、そこに出て勉強していました。また、病院経営セミナーによく出ていました。藁にもすがる思いで、雑誌に出ているセミナーに片っ端から申し込んでいましたね。自分なりに医療法人制度や医業経営の知識を身につけ、病院の会議に出て経営に関わるようにしました。
― 診療をしながら経営を学んだのですね。
 たいへんだとは感じませんでしたね。若かったし、やりがいもありました。それに職員に支えられていました。
 当時は、介護保険制度が施行された頃で、医療は厳しくなっている時でしたが、やることはたくさんあって、楽しかったですね。

赤字のクリニックを立て直しその後は理事長に専念

― 西部総合病院の院長は何年続けたのですか。
 2000年から2004年まで、西部総合病院の院長・理事長として働き、病院の経営は軌道に乗っていましたが、その頃、春日部市のクリニックが赤字を出したのです。そこで、立直しのためにクリニックの院長に入りました。そこは、大規模なデイサービスを併設しているクリニックで、訪問看護や介護の事業所もありましたが、かなりの赤字が出ていました。当時、外来の患者が半日に1人という状況でしたので、1人に20~ 30分かけて診察し、病気のことだけでなく、家族の背景などいろいろなことを話しました。予防接種や健康診断などの営業にも力を入れた結果、徐々に患者が増えて、黒字が出るようになりました。
 院長は管理者なので、他の病院の院長と兼務できません。1カ所の院長をしていると偏ってしまうので、クリニックの立直しが終わると、理事長に専念することにしました。理事長であれば、どこかに常駐していなくてもすむし、何かあったときには院長として入ることができます。今は、理事長として二つの法人をバランスよくみるようにしています。
 グループには3病院と1クリニックがあり、4カ所で外来診療ができます。
 そのすべてで自ら白衣を着て医師として働くことを目標とし、それは達成しました。

先代を自宅で看取ったことが病院経営の原点に

― 地域包括ケアに取り組むことになったきっかけを教えてください。
 きっかけは、父を在宅で看取ったことです。父は、若くして末期のがんを発症したのですが、自分の病院にかかると職員の間で噂になってしまうので、近隣の病院の泌尿器科を受診し、そこでがんがみつかりました。お取引先など外部の方に知られないように病院を転々としましたが、最後は私が勤務する獨協医科大学越谷病院に入院しましたので、当直の合間に父の面倒をみることができました。
 最期は自分の病院の理事長室にベッドと酸素を置いて陣頭指揮を執るといって、その通りにしました。それで自分なりに満足していたのですが、がんが脳に転移した影響かもしれませんが、ある時、夜中に病院を抜け出して大騒ぎになりました。その時、父が向かった先は自宅だったのです。
 自分の病院の理事長室で死にたいと言っていたのに、やはり家に帰りたいのですね。それからは在宅で私が主治医となって診ることにしました。それまでは大学病院の勤務で親元を離れていましたが、最期の2~3ヵ月は自宅で一緒に過ごすことができました。
 私は循環器が専門でしたので、脳腫瘍の患者はそれまで経験がなく、勉強になりました。父はよく「財産は残さないが教育は残す」と言っていましたが、最期の看取りでも医師として教育の機会を与えてくれたと思っています。
― 住み慣れた地域や自宅で最期を迎えることの意味は大きいですね。
 自分の望むところで、最期を迎えられる人は少ないですね。1人でも多くの人を、その人が満足する形で最期を看取ってあげたい。それが私の原点であり、法人経営の基本理念となっています。在宅療養支援診療所・病院として、訪問診療や訪問看護に力を入れて取り組み、専門特化するのではなく、地域包括ケアの受け皿となることに、こだわりを持っています。

地域医療構想調整会議の議論を懸念

― 現在、どんなことに取り組んでいますか。
 地域医療構想が始まっているので、地域における自院のポジショニングを明確にして、いかにPRするかにここ数年力を入れています。2015~ 2017年の中期計画があり、今年はその最終年ですが、来年の同時改定への対応や病院建替え計画の策定、在宅療養支援診療所・病院、在宅療養後方支援病院、訪問診療部門の確立、訪問看護や介護の居宅支援サービスなどの経営課題に取り組んでいます。そのほか行政の委託事業で、地域包括支援センターや在宅医療連携拠点事業があります。
 行政からこれらの事業の委託を受けることで、地域包括ケアを担う法人として位置づけがはっきりします。
― 地域医療構想など、医療制度が大きく変わりつつある中でどんな展望を描いていますか。
 やるべきことは、はっきりしていて、我々が目指してきたものを強化してブランドづくりをすることです。選ばれる病院づくりと言ってもいいと思います。
 懸念しているのは、地域医療構想調整会議が始まりますが、そこでの機能分化の検討です。さいたま市は、特定の機能を有する基幹病院が多いのです。
 高度急性期病院が診療報酬改定に耐えられなくなって、地域包括ケアに進出せざるを得ない状況が出てきています。
 病院完結型から地域完結型へと地域も動いていますが、基幹病院も我々と同じような方向性を持ってきているのですね。そこは、競合が出てくるので、懸念材料ではあります。
 調整会議では、災害医療や救急医療など、基幹病院の機能選択が優先される面がありますが、民間の中小病院も、最低限、二次救急にしっかり取り組む必要がある。二次救急も病床の機能分化と同様に、基幹病院との間で機能分化していくことになるでしょう。急激に増える高齢者の救急、サブアキュートの救急を積極的に受けていくことになります。

若手経営者のネットワークをつくりたい

― 全日病での活動を教えてください。
 若手経営者育成事業委員会の委員として、いろいろな研修を企画し、全国の若手経営者とネットワークができています。
― 病院団体に属さない若手経営者の集まりがあるそうですね。
 東日本若手病院経営者の会と西日本若手病院経営者の会があり、私は東日本の会の幹事をしています。年に2~3回、いろいろな病院を見学にいって、夜には酒を酌み交わしながら、普段は話せないようなことを議論し、とてもよい集まりです。
 全日病には、他の団体にはない若手経営者育成事業委員会がありますので、これをもっと広げていきたい。医療界は、たいへん厳しい状況ですが、全日病の若手育成事業委員会を中心に、東日本と西日本の若手経営者の会と連携して、若手経営者のネットワークをつくっていきたいと思います。

 

全日病ニュース2017年5月1日号 HTML版